「なぜ、わざわざブログなんて書いているの?」
これは、私が時々友人から聞かれることであり、そして何より、私自身がパソコンの白い画面の前で何度も自分に問いかけてきた質問です。
仕事で疲れて帰ってきた夜、重たい瞼をこすりながらキーボードに向かう時。
休日の昼下がり、ビールとYouTube、アマプラやU-NEXTの誘惑を振り切ってWordpressを開く時。
一体何のために、誰のために、こんなにエネルギーを使っているんだろう。
お金がすごく稼げるわけでもない。
誰も読んでいないこの場所に、なぜ言葉を投げ続けるのか。
その答えは、書き始めてから今日に至るまで、少しずつ形を変えてきました。
今日は、私がブログを書き続ける本当の理由について、少し泥臭い部分も含めてお話ししようと思います。
もし今あなたが、日々の生活になんとなくモヤモヤしていたり、「何か始めたいけれど、それが何かわからない」と感じていたりするなら、少しだけ私の話を聞いてください。
1. 流れ去る日々に「抗う」ための杭として

正直に告白すると、ブログを始める前の私は、毎日をただ「消費」して生きていました。
朝ギリギリに起きて、会社に行き、与えられた仕事をこなし、疲れて帰る。
夕食を食べながら動画を見て、SNSをスクロールし、気づけば深夜になっている。
布団に入ったら入ったでショート動画を見ながら寝落ち…
昨日と今日の境目が曖昧で、先週自分が何を考え、何に心を動かされたのかさえ思い出せない。
「人生、これでいいんだろうか?」
そんな漠然とした不安が、常に胸の奥にくすぶっていました。
大きな不満があるわけではないけれど、このままでは、私の人生は誰の記憶にも残らず、私自身の記憶からさえも薄れていってしまう。
まるで、砂時計の砂がただサラサラと落ちていくのを、呆然と眺めているような感覚でした。
ブログを書き始めた動機は、そんな「流されていく感覚」への恐怖であり、ささやかな抵抗もありました。
今日自分が感じたこと、考えたこと、心を揺さぶられたこと。
それを文字という形にして、インターネットという大海原に打ち込んでおく。
それは、激流のように過ぎ去る時間という川に、「私は今日、ここにいたぞ」という杭を打ち込むような作業でした。
書くことで、私は初めて、自分の人生を「他人事」ではなく「自分事」として捉え直すことができたのです。
2. 混沌とした脳内を整理する「思考の濾過装置」



いざ書き始めて気づいたのは、「自分がいかに何も考えていなかったか」という衝撃的な事実でした。
私たちは普段、頭の中で常に何かを考えている気になっています。しかし、それは大抵の場合、形にならない感情の断片や、漠然としたイメージが渦を巻いているだけです。
それを「文章」という他人が読める形にアウトプットしようとすると、途端に手が止まります。
「あれ、私、これについてどう思っていたんだっけ?」
「この感情を、どう言葉にすればいいんだろう?」
書くことは、苦痛を伴います。
自分の思考の浅さ、語彙の貧困さと向き合わなければならないからです。
これが本当にしんどい。このまま続けていけるのだろうか。という思い。
しかし、その苦し紛れの中で、適切な言葉を探し当て、論理を繋ぎ合わせていく作業は、混沌とした脳内を濾過していくプロセスそのものです。
モヤモヤしていた悩みを言語化したら、実は大した問題ではなかったと気づくこと。
漠然としていたアイデアを書き出したら、具体的な行動プランが見えてくること。
「書くから思考が整理される」のであり、その逆ではありません。
ブログは私にとって、自分自身をカウンセリングするための、最高の思考整理ツールなのです。
書き終えた後の頭のスッキリ感は、どんなサウナよりも効果的だと私は思っています。
3. 孤独な夜に、誰かと「共鳴」するためのボトルメール



そして、ブログを続ける最大の理由は、やはり「繋がり」です。
私たちは皆、どこかで孤独を抱えています。
職場や家庭で、社会的な役割を演じながら、「本当の自分」は誰にも理解されていないのではないか、という寂しさを感じることがあります。
自分の弱さや、コンプレックスや、誰にも言えないようなマニアックな情熱。
そんなものをブログに書くのは、最初はとても勇気がいりました。
「こんなことを書いたら引かれるんじゃないか」
「馬鹿にされるんじゃないか」と。
でも、勇気を出して公開ボタンを押した記事に限って、思いがけない反応が返ってくることがあります。
「私も同じことで悩んでいました」
「記事を読んで、救われました」
顔も知らない、どこに住んでいるかもわからない誰かが、私の書いた拙い文章に共鳴してくれた。
それが1.2件だけでもいいのです。
その事実を知った時の震えるような喜びは、何物にも代えがたいものです。
それはまるで、広大な海に流したボトルメールを、誰かが拾ってくれたような奇跡です。
ブログは、私が世界に向けて開いている小さな窓です。
普段の生活では出会えなかったはずの人たちと、深い部分で繋がることができる。
たとえそれがたった一人であったとしても、「私は一人じゃない」と思えることが、明日を生きるための強力な燃料になります。
4. 未来の自分への「贈り物」



長く日記を続けていて思うことは、過去の日記は「他人」が書いたように感じることがあります。
3年前の私は、こんなことで悩んでいたのか。
5年前の私は、こんなに青臭い熱意を持っていたのか。
当時の文章を読むと、恥ずかしくて顔を覆いたくなることも多々あります。
でも、そこには紛れもなく、その時を懸命に生きていた「私」がいます。
それを今後はブログとして残していきます。
人間は忘れる生き物です。どんなに辛かったことも、嬉しかったことも、時間とともに風化していきます。
でも、ブログに残しておけば、いつでもその時の感情を鮮明に取り戻すことができます。
過去の記事は、未来の自分への贈り物です。
「あの時、あれだけ頑張れたんだから、今度も大丈夫」
そうやって、過去の自分が現在の自分を励ましてくれるのです。
自分の成長の軌跡をこれほど確かな形で残せる媒体は、他にはありません。
最後に:あなたも、こちらの世界へ来ませんか?
私がブログを書く理由。
それは、流されるだけの人生に抗い、自分の思考を研ぎ澄まし、見知らぬ誰かと孤独を分かち合い、そして未来の自分にエールを送るためです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、ブログは私の人生を確実に豊かにしてくれました。
もし、あなたが今、この文章を読んで何かしらの「熱」を感じているのなら。
もし、「自分も何か表現してみたい」という小さな衝動が生まれているのなら。
その衝動を、絶対に無視しないでください。
「文章力がないから」「書くネタがないから」「時間ができたら」
そんな言い訳は、いくらでも思いつきます。
私もそうでした。
でも、完璧な準備が整う日なんて、永遠に来ません。
下手でもいい。短くてもいい。誰の役にも立たなくてもいい。
まずは、あなた自身のために、書いてみてください。
あなたが今感じているそのモヤモヤは、言語化されるのを待っています。
あなたが抱えているその孤独は、世界のどこかにいる誰かの孤独と共鳴するのを待っています。
ブログでなくても構いません。noteでも、SNSでも、日記帳でも。
ただ「消費する側」から、ほんの少し足を踏み出して「表現する側」へ回ってみる。その小さな一歩が、あなたの見える景色を劇的に変えてしまう可能性を秘めていることを、私は知っています。
さあ、こちらの世界へ来ませんか?
真っ白な画面は、あなたの言葉を待っています。
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